葛飾北斎『富嶽三十六景』全46作品で自分だけのオリジナルアートTシャツが作れる!TMIX×ART第3弾
オリジナルTシャツTMIX(ティーミックス)で始まった、アートを題材として自分だけのオリジナルデザインのアートTシャツを作れる「TMIX×ART(ティーミックスアート)」プロジェクト。
第1弾はゴッホ、第2弾はクロード・モネでしたが、今回の第3弾は葛飾北斎。葛飾北斎のアートを使って自分のオリジナルのTシャツを作ることが出来ます。
葛飾北斎といえば世界的にも著名な『富嶽三十六景』。ということで『富嶽三十六景』すべての作品をご紹介していきます。全部で46作品あります。『富嶽三十六景』とある通り、36枚で終結する予定だったはずが、作品が人気を集めたため追加で10枚が発表され、計46枚になったそうです。追加の10枚の作品は別名があり、「裏富士」と呼ぶとのこと。
葛飾北斎について
葛飾 北斎(かつしか ほくさい、葛飾 北齋[1]、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? – 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。
森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風景画にも新生面を開いた。北斎の業績は、浮世絵の中でまさに巨大な高峰であったが、達者な描写力、速筆は『北斎漫画』の中にも見ることが可能である。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したこと、毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であった。葛飾派の祖となり、後には、フィンセント・ファン・ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、工芸家[2]や音楽家にも影響を与えている。
『富嶽三十六景』作品とTシャツ
それではさっそく葛飾北斎『富嶽三十六景』の作品をご紹介していきます。気になった作品があれば、無料でネット上で自分のデザインが作れますのでボタンをクリックして進んで試してみて下さい。
白のTシャツにデザインをしていますが、Tシャツのカラーや種類を変えたり、バッグやタオルに変更も可能です。
1. 江戶日本橋(えどにほんばし)
江戸日本橋は東海道の起点でもあり、江戸の中心。魚河岸として栄えた日本橋の活気と江戸城、そして遠くに見える富士が描かれています。
ベーシックな白Tシャツに作品を載せています。作品を拡大したり縮小したり、位置を変えたり、テキストを追加したりいろいろアレンジできます。
Tシャツの種類はお手頃Tシャツ。1枚送料込みで2,490円(税抜)で作れます。レディースサイズの150からメンズサイズのXXLまでの7サイズ展開です。
これから紹介する作品すべてこのTシャツを使用していますが、マイアートTシャツを作るときに他のTシャツの種類やカラーに変更することも出来ます。
このTシャツの生地感やサイズなどを詳しく知りたい方はこちらからどうぞ。お手頃Tシャツの説明ページへ
2. 江都駿河町三井見世略圖(こうとするがちょうみついみせりゃくず)
駿河町は現在の日本橋室町。三井とは現在の三越百貨店の前身である呉服屋の三井の越後屋です。通りをはさんで建つ越後屋の店舗、凧が舞い正面に白雪を頂いた富士山が端然と描かれています。
「現金 無掛直 呉服物品 組物 糸類」の看板も描き添えられており、当時の駿河町といえばそのまま越後屋を意味するほど繁盛していたそうです。
3. 東都駿䑓(とうとするがだい)
駿臺とは現在は予備校の街として知られた神田駿河台のこと。高台から眺められる富士の姿が描かれている。
荷を担ぐ行商人の姿、巡礼、お供を連れた武家、額に手をかざすもの、扇で風を入れる者などが描かれています。
4. 東都浅艸本願寺(とうとあさくさほんがんじ)
現在の東京浅草本願寺のこと。もともと神田明神下にあったが、1657年の江戸の大火の後、浅草へ移転した。大屋根をもつこの壮大な建築は、江戸庶民を驚愕させたという。
大屋根で仕事をする瓦職人がいつのまにか富士と一体化しているところに構図の面白さがあり、屋上左の二人の瓦職人は、(瓦の)雲の上にいるかのように描かれています。
5. 本所立川(ほんじょたてかわ)
現在墨田区立川のあたり、隅田川にそそぐ竪川の両脇に並んでいた材木問屋を描いています。高く積み重ねられた材木の隙間に富士の姿を見つけることができる作品です。
6. 深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)
江戸時代の深川は、隅田川をわたった東側で「川向こう」呼ばれ、新しいいきいきとした街だったそうです。
万年橋は小名木川と隅田川との合流点に架けられた橋だそうです。
7. 五百らかん寺さゞゐどう(ごひゃくらかんじさざえどう)
現在の江東区大島町(深川)にあった、禅宗の一つである黄檗宗の天恩山五百羅漢寺からの眺めを描いています。(現在は、下目黒に移っています)
螺旋状の階段を登ることから栄螺堂と呼ばれ、その眺望は人気があり富士山を眺望することが出来たそうです。芸妓・子供・武士などの賑わいが描かれています。
8. 青山圎𫝶枩(あおやまえんざまつ)
江戸名所の一つであった青山竜岩寺の庭中の笠松、円座松。笠を置いたような松のこんもりとした姿と突き出た三角形の富士山との形の対比で、この円座松を絶妙の構図で描いています。
「枝のわたり三間あまりあり」とも記され(『江戸名所図会』)、小山のようにも見えるこの松は江戸の名所。よく見ると画面左下にも松の添え木にまじって松葉を掃除する男の姿が描かれている。
9. 隠田の水車(おんでんのすいしゃ)
隠田は、現在の渋谷区表参道近辺の地域である。
現在都会を代表する原宿は、かつては農村地帯でした。そして渋谷川にはたくさんの水車がありました。
画面左側には水車からあふれる水が力強く描かれており、画面右側には対照的に静かにたたずむ富士が描かれています。水車小屋の近くで働く人々の姿を描くことで、さらに動きを感じさせる作品になっています。
10. 下目黒(しもめぐろ)
江戸時代の目黒は田園であった。この絵は左右相対に描かれ、中央に富士山の遠望で絵をしめている。江戸時代目黒一帯は、鷹狩りの場所としても有名でした。二人の鷹匠と農夫が描かれています。
11. 礫川雪ノ且(こいしかわゆきのあした)
礫川とは現在の東京都文京区小石川あたり。葛飾北斎『富嶽三十六景』で雪景色の作品はこの礫川雪ノ且のみ。夜半に雪の降った翌朝に、雪見、富士見を楽しむ人々の光景。富士上空には三羽の鳥が描かれている。
12. 御厩川岸より両國橋夕陽見(おんまやがしよりりょうごくばしゆうひみ)
御厩川岸は現在の東京都墨田区と台東区の隅田川の両国橋と吾妻橋の間、現在の厩橋が架かるあたり。二代将軍秀忠の御厩が設けられ、御厩奉行を置いたことから、この地名がおこったとされる。関屋の里は隅田川辺の寺島村から千住河原辺までの総称であったという。
13. 隅田川関屋の里(すみだがわせきやのさと)
関屋の里とは、現在の東京都墨田区の北方の千住仲町から千住関屋町あたりまでの一帯を指しているそう。疾走する馬と右端に見える高札場、とくにそれ以外のものは描かれていません。生い茂る草を水平線として富士山が見えます。
14. 武州千住(ぶしゅうせんじゅ)
千住は江戸四宿のひとつ。しかしあえて葛飾北斎は、大きな賑わいをみせた宿場を描かず、荒川近くの掘割にある水門辺を描写している。水門越しに、荒川の先に見える富士山を描いた作品。
15. 従千住花街眺望ノ不二(せんじゅはなまちよりちょうぼうのふじ)
千住は奥州街道第一の宿場、そこには色街があった。
作品の中には色街の手前を通り過ぎるの大名行列の鉄砲隊、毛槍部隊(毛槍の先端のみ)、田圃の畦道に行列を眺める農民の娘二人、白く雪化粧をした富士が描かれている。
16. 武陽佃嶌(ぶようつくだしま)
佃島は現在の東京都中央区佃あたり。徳川家康は幕府を江戸に置くにあたり、大阪摂津国佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、ここに漁村を作った。彼らの故郷にちなんで佃島と名付けられたという。
穏やかな海に、佃島そして様々な角度から見た舟が散らばっている。舟が起こす小さな波しぶき以外は静かな海である。
17. 上總ノ海路(かずさのかいじ)
浦賀水道(千葉県富津市)から描かれた作品。風を一杯に帆にはらんだ大船を真横からとらえ克明に描いている。弧を描く水平線で分けられた広大な空と海。帆と綱が作る三角形の中に、富士の小さな三角形がのぞいている。
18. 登戶浦(のぼとのうら)
登戸浦は、現在の千葉県千葉市にあった海岸である。汐干狩の名所で、江戸からも行楽の人々が多かった。
二つの鳥居は現登渡神社の前身の寺のものという。追いかけっこで遊ぶ子供、鎌を持って話し込む人、貝を採る人、運ぶ人、網の付いた棹で漁に行く人が描かれています。
19. 常州牛堀(じょうしゅううしぼり)
常州牛堀は現在の茨城県潮来市(いたこし)、霞ヶ浦に接したあたり。荷船での生活が描かれている。
20. 東海道品川御殿山ノ不二(とうかいどうしながわごてんやまのふじ)
東海道品川御殿山ノ不二は東京都品川区北品川町あたりの景観を描いた作品。
品川の宿に面した御殿山の丘陵で、お花見を楽しむ人々の情景が描かれている。
21. 神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)
富嶽三十六景といえばこの作品、という方も多いのではないでしょうか。神奈川沖浪裏の作品は、現在の横浜本牧沖から富士を眺めた図。日本だけでなく世界的に有名な作品です。ゴッホが絶賛し、作曲家ドビュッシーが交響詩『海』を着想するなど、欧州の芸術家達に影響を与えています。
『神奈川沖浪裏』(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎が制作した木版画である。1831年(天保2年)頃[1] に出版された名所浮世絵の連作『富嶽三十六景』の一つで、巨大な波と翻弄される舟の背景に富士山が描かれている。北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つである[1]。「神奈川沖波裏」とも表記される[2]。
22. 武州玉川(ぶしゅうたまがわ)
玉川は多摩川のこと。調布あたりの風景と思われる。舟の浮ぶ川の流れが中心となっていて、下段の柴を肩にした馬と農夫も描かれている。
23. 東海道程ヶ谷(とうかいどうほどがや)
東海道程ヶ谷は現在の神奈川県横浜市保土ヶ谷区。松並木を透かして見える富士、そこを行き交う人々が描かれています。
24. 相州七里濵(そうしゅうしちりがはま)
相州七里濵は現在でも多くの観光客が訪れる神奈川県鎌倉市に位置する海岸。
前景にあるのは鎌倉山で七里ヶ浜の集落が描かれている。左手の島は江の島とされている。
25. 相州江の嶌(そうしゅうえのしま)
相州江の嶌は神奈川県藤沢市にある現在も観光地として有名な江の島。江の島は江戸時代から人気のあった観光地であった。干潮時に砂州が現れた時に歩いて江の島へ渡った。お参りに行く人々を描いた作品。
26. 相州仲原(そうしゅうなかはら)
相州仲原は現在の神奈川県平塚市中原あたり。富士の手前に描かれた山は大山で、大山詣は庶民の人気を集めたようだ。旅の商人、農夫などが描かれている。
27. 相州梅澤左(そうしゅううめざわのひだり)
相州梅澤左は現在の神奈川県二宮町梅沢地区あたり。表題に「相州梅沢左」とあるが、現在では“梅沢庄”の誤刻であろうとする見解が一般的となっている。丹頂鶴の集団を描いている。
28. 相州箱根湖水(そうしゅうはこねこすい)
相州箱根湖水とは芦ノ湖のこと。やり霞漂う中に、芦ノ湖が波一つなく描かれています。富士の右の山は駒ヶ岳、湖水のほとりには箱根神社の森もみられます。
29. 甲州三嶌越(こうしゅうみしまごえ)
甲州三嶌越は山梨と静岡の境にある籠坂峠を越えるあたり。中央に大木、三人の旅人がおり、手を伸ばして幹の太さを測っているのが見られます。
30. 駿州片倉茶園ノ不二(すんしゅうかたくらちゃえんのふじ)
駿州片倉茶園ノ不二は現在の静岡県富士市あたり。静岡の茶の生産は、鎌倉時代に始まると伝えられている。
御茶の名産としてすでに有名であった。大規模な茶園で茶つみの女達の働く姿、つんだ茶を馬や肩で運ぶ人たちなど働き動くさまがこと細かに描かれている。
31. 駿州大野新田(すんしゅうおおのしんでん)
大野新田は、現在の静岡県富士市あたり。わらを背に積んだ牛と共に人々が歩く様子が描かれています。
32. 山下白雨(さんかはくう)
この作品でマイアートTシャツを作ってみる
「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」とともに、冨嶽三十六景のシリーズの三役のひとつに数えられます。
凱風快晴が「赤富士」と呼ばれるのに対して、山下白雨は「黒富士」と呼ばれています。作品の右下には稲妻が走り、富士山の頂上付近と下界との天候の違いを描くことで富士が高い山であることをみせています。
33. 凱風快晴(がいふうかいせい)
この作品でマイアートTシャツを作ってみる
凱風とは南風のこと。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝くことがあるという。「赤富士」とも呼ばれ、「山下白雨」「神奈川沖浪裏」とともに、冨嶽三十六景のシリーズの三役のひとつに数えられる。
日本人が浮世絵で富士山と言えば、すぐ頭に浮かぶのがこの作品かもしれません。
凱風快晴(がいふうかいせい)は、葛飾北斎筆の名所絵(浮世絵風景画)『富嶽三十六景』全46図のうちの1枚。「神奈川沖浪裏」と共に同シリーズを代表する作品であり、北斎の代表作の一つとして名高い。
34. 諸人登山(しょにんとざん)
葛飾北斎『富嶽三十六景』全46枚の中で、唯一、富士の山容が描かれていない作品。
山登りをしている人々が描かれているが、彼らが登っている山が富士そのもの。富士山頂に登山をする、富士講と呼ばれた富士山を信仰する人たちの姿を描いた作品。
35. 駿州江㞍(すんしゅうえじり)
駿州江尻は、現在の静岡県清水市あたり。この作品では葛飾北斎は風を描いている。風に飛ばされんばかりで、身体を支えるのさえやっとといった旅人、女の人の紙が舞い上り笠も飛ばされている姿が見て取れる。
36. 東海道江尻田子の浦略図(とうかいどうえじりたごのうらりゃくず)
田子の浦は現在の静岡県富士市一帯の海岸。田子の浦は、富士山が見える名所であり、百人一首にも詠まれている。浜辺で働く人びとの姿が小さく描かれ、荒波の海にはよく見ると大小4隻の船が描かれている。
37. 東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)
東海道金谷の不二は現在の静岡県島田市のあたり。金谷宿は、大井川の西岸に位置する東海道の宿場であり、大井川の渡河地点。大井川は「越すに越されぬ大井川」と馬子唄にうたわれた東海道の難所である。大井川は江戸時代は橋がなく、旅人は輦台や肩車で、川人足の力をかりて渡渉していた。その様子を描いた作品。
38. 遠江山中(とおとうみさんちゅう)
遠江は現在の静岡県。山中で、巨大な材木に乗って上から、あるいは材木の下から大鋸を挽き、鋸の目立てをする木挽き職人たちを描いています。遠江山中は、構図の面白さが有名です。
39. 東海道吉田(とうかいどうよしだ)
東海道吉田は現在の愛知県豊橋市あたり。そこの不二見茶屋から遠く富士を眺めた図で、茶屋に休む旅人たちの姿が描かれている。
40. 尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)
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尾州不二見原は、現在の愛知県名古屋市郊外、富士見原を描いたもの。丸い桶を通して見える三角の富士という奇抜な構図。「桶屋」とも呼ばれます。
画面中央に大樽の中で板を削る職人の姿が描かれ、樽の中から田園風景の彼方に小さく富士の姿を見る。樽の左側には箍(たが)が描かれている。北斎の大胆な構図を代表する一枚で、富士の姿と働く人々の姿を組み合わせた作品としては他に「遠江山中」や「穏田の水車」が知られる。
41. 甲州犬目峠(こうしゅういぬめとうげ)
甲州犬目峠は現在の山梨県上野原市あたり。峠をのぼる2人の旅人、峠の裾の方の2頭の馬と旅人が描かれています。
42. 甲州三坂水面(こうしゅうみさかすいめん)
甲州三坂水面は現在の河口湖の北側あたり。湖面に映った富士山の”さかさ富士”として有名な作品。
43. 甲州伊沢暁(こうしゅういさわのあかつき)
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甲州街道の石和宿の北側の高台から宿場を見下ろしながら早朝の富士を望む作品。
「甲州伊沢暁」では甲州街道の宿場である石和宿(笛吹市石和町)から望んだ富士を描いている。
ほのぼのと明るくなった早朝の風景で、遠くに見える富士は闇をまとっている。宿内には出立する人馬の様子が描かれている。
位置関係から石和宿北方の大蔵経寺山からの眺望であると考えられており、画面右下に大蔵経寺山が見え、手前に甲州街道と石和宿、奥に鵜飼川(笛吹川)と鎌倉往還の板橋が見える。画面右端の続きには北斎も帰依していたと考えられている日蓮宗の寺院である遠妙寺(笛吹市石和町市部)が所在しているが、画面には描かれていない。
44. 信州諏訪湖(しんしゅうすわこ)
信州諏訪湖は現在の長野県諏訪市の諏訪湖あたり。長野側(甲州、信州側)から見た富士山が描かれています。
45. 甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)
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中央の岩場の上に網を打つ漁師が立ち、その傍らには籠を見守る童がいるという、孤高な人間像を感じさせる作品です。
甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)は、葛飾北斎の浮世絵風景画『富嶽三十六景』のうちの一枚。「石班澤」を「かじかざわ」と読むのは、カジカと「石斑魚(ウグイ)」を混同したための誤記と考えられている。
甲府盆地を潤す釜無川・笛吹川が合流し富士川となる鰍沢(山梨県富士川町)が描かれている。鰍沢は富士川舟運の拠点で、兎の瀬と呼ばれる難所。
画面中央には岩場から波打つ富士川に向かって投網を引く漁師の姿が描かれ、三角形の構図が富士の稜線と相似形を成す。漁師の傍らには子どもと籠が描かれている。
46. 身延川裏不二(みのぶがわうらふじ)
身延川裏不二は現在の山梨県身延町あたり。身廷山への街道を旅人、馬、駕籠の人などが行き交う様子が描かれています。
富嶽三十六景主版36作品入りTシャツ
この作品でマイアートTシャツを作ってみる
富嶽三十六景主版36作品入りTシャツです。オモテに18作品、背中側に18作品の計36作品が載っています。
作品の位置を変えたり、好きな作品だけ大きくしたり、文字を追加したりなど、自由にデザインできますので興味あれば上のボタンから進んでみてください。
富嶽三十六景「裏富士」Tシャツ
この作品でマイアートTシャツを作ってみる
当初は名前の通り、主版の36枚で終結する予定が作品が人気を集めたため追加で10枚が発表されたそうです。この追加の10枚の作品を「裏富士」と呼ぶのですが、そのシリーズを載せたTシャツです。
もちろんここからデザインを自分の好きに変更できますので上のボタンを押して進んで試してみてください。
TMIX×ARTプロジェクトについて
「TMIX×ART」プロジェクトは著作権保護期間の満了または放棄されている(パブリックドメイン)絵画を利用し、アートを身近にするプロジェクトです。
著作権が発生していない状態であることを示すパブリックドメイン状態、または著作権者が利益を放棄してパブリックドメインに置くことに同意していることを示す「CC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ)」表記がされているものを対象としているので、自由に、作品に機能を追加し、拡張し、再利用することができます。
TMIX運営からのひとこと
TMIXではだれでもウェブで自分のオリジナルのTシャツを1枚からつくれます。自分の写真や公式スタンプ素材を配置して、大きさや色を変え、テキストメッセージを入れる。この一連のオリジナルTシャツをデザインする行動はTシャツをキャンバスと捉え直すと自分でデジタルのキャンバスに思い思いの絵を描いている、自分たちの欲しいものを表現しているとも言えます。絵を描く、絵を見る、ということはTMIXにとってじつは身近なものなんです。
そして、”Tシャツがキャンバス”というコンセプトをさらに進め、有名なアート作品を利用して自分のオリジナルのアートTシャツが作れることを楽しんでもらいたいと考えました。
このTMIX×ARTプロジェクトでご紹介するアート作品は、著作権保護期間の満了したパブリックドメイン状態にあるものまたはCC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ)対象の作品です。そのため、たとえ営利目的であっても、許可を得ずに複製、改変・翻案、配布することが出来ます。
つまり、TMIX上で、作品の上に公式スタンプ素材やテキストを配置したり、大きさを変えたり、拡大して一部分のみプリントすることなどが全て可能です。アート作品を使ったアート!?をだれでも作れちゃうのです。
アートというと難しいものに聞こえがちですが、我々は身近なものだと考えています。アートに興味がない人でも、興味はあるけどよくわからない人もぜひデザインを楽しんでみて下さい。デザインを作るだけならTMIXは無料で出来ます。
もし自分の作ったオリジナルTシャツが気に入ったら1枚購入していただき、マイアートTシャツでアートが身近にある生活を楽しんでいただけたら我々も嬉しいです。
パブリックドメイン、CC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ)の説明
最後にパブリックドメイン、CC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ)の説明をウィキペディアの抜粋から載せておきます。興味ある方はぜひリンクをクリックしてウィキペディアの情報も見てください。
パブリックドメインとは?
パブリックドメイン(public domain)とは、著作物や発明などの知的創作物について、知的財産権が発生していない状態または消滅した状態のことをいう。日本語訳として公有という語が使われることがある。
パブリックドメインに帰した知的創作物については、その知的財産権を行使しうる者が存在しないことになるため、知的財産権の侵害を根拠として利用の差止めや損害賠償請求などを求められることはないことになる。
また、日本は「ベルヌ条約」の加盟国であることから、フランスまたはオランダの絵画でも著作権の法律は日本に帰すると理解しております。
CC0(クリエイティブ・コモンズ・ゼロ)とは
クリエイティブ・コモンズ CC0 日本語版の公開 ページより抜粋
クリエイティブ・コモンズでは、クリエイターや権利者の方が自分の作品をパブリックドメインで提供し、著作権法上の制約などを一切課さないようにしたい、という際にお使いいただけるツールとして、CC0(シー・シー・ゼロ)を提供しています。
CC0 1.0 全世界 (CC0 1.0) パブリック・ドメイン提供 ページより抜粋
その作品について世界全地域において著作権法上認められる、その者が持つすべての権利(その作品に関する権利や隣接する権利を含む。)を、法令上認められる最大限の範囲で放棄して、パブリック・ドメインに提供しています。
この作品は、たとえ営利目的であっても、許可を得ずに複製、改変・翻案、配布、上演・演奏することが出来ます。
2017.10.02